整ってないままでも、呼吸してたら、なんとかなった話
どうも。心ヨガ部 部長のしゅうまです。
今日はちょっとだけ真面目な話をしようと思う。
なぜ心ヨガ部を始めたのか。どうして「部」なのか。
それには、俺なりの理由があるんだ。
「整えろ」ってうるさい時代に
最近、SNS見てると「ととのいました」みたいな投稿が多すぎて、ちょっと疲れない?
瞑想した、サウナ行った、朝活した、腸内環境改善した、みたいな。
でもな、俺はこう思ってた。
「整ってないとダメなのか?」
「落ち込むことって、そんなにいけないこと?」
「いやいや、むしろ感情があるから人間なんじゃないのか?」
“整えなきゃ”って思うほど、どんどん自分を嫌いになっていった。
整ってる「フリ」が上手くなるだけで、心はぐちゃぐちゃのまま。
ヨガとの出会いは逃げるような一歩だった
本当にたまたまだった。
地元の張り紙に「初心者歓迎!体が硬くてもOK」って書いてあって。
「じゃあ俺でもいいか」って、半分逃げるような気持ちで参加した。
マットに座って、ただ呼吸するだけ。
ポーズとかどうでもよかった。
呼吸して気づいたこと
で、気づいた。
「今、自分のことしか考えてない」
「誰の期待も、評価も、ここにはない」
「…なんか、これ、落ち着くな」
整ってないままでも、呼吸してたら、なんとかなった。
その感覚が、俺の中でずっと残った。
「心ヨガ部」って名前に込めた意味
なんで「ヨガ部」じゃなくて、「心ヨガ部」なのか。
それは、心にフォーカスしたかったから。
ポーズができるかより、「今日、自分に嘘つかずに生きてるか?」の方が大事だと思ったんだ。
だから、「心」って言葉を、ちゃんと名前に入れたかった。
なぜ「部活」なのか?
で、なんで「部活」なのかっていうと、これは完全に俺の感覚だけど…
うまくできなくても怒られないし、
たまにサボっても誰も文句言わないし、
でも、ふとした時に「戻ってきたくなる」――そんな場所、部室みたいでよくない?
そんな不器用であったかい空気を作りたかった。
だから、心ヨガ“部”。
整ってない自分に戻れる場所
俺もまだ整ってなんかない。
イライラするし、弱音も吐くし、どうしようもない日もある。
でも、呼吸して、少しずつ整わなさを受け入れて、
「まぁ、これが俺だ」って思えるようになった。
心ヨガ部はこんな場所
心ヨガ部は、そんなふうに“自分と仲直りする場所”でありたい。
がんばる場所じゃなくて、帰ってくる場所。
理想を押しつけるんじゃなくて、余白を認め合える場所。
今日から、部室で待ってる
このブログや動画では、
・カラダじゃなく心に効くヨガ
・頑張らなくていい自分との向き合い方
・ちょっとずつ本音に戻る習慣
そんなことを届けていく。
「整ってない」ってだけで、肩身が狭い世界に、ちょっと反抗してやろうぜ。
さぁ、マットの上で呼吸しよう。
今日も、心ヨガ部で待ってる。
君の感情、動画にさせてくれ。 部長、マジでその感情、受け止める。