手放しましょう。
ただ観察しましょう。
今に意識を向けましょう。
——そんな言葉が、まるで魔法のように語られるのが、今の瞑想ブーム。
でもな。
抱えたまま生きてる人間に、「手放せ」なんて無責任だ。
人生がぐちゃぐちゃな時。
誰にも頼れない時。
自分の気持ちすらわからないまま、ただ日々をこなしてる時。
そんな時に「ただ観察しろ」とか言われても、ムリだ。
「今この瞬間にいましょう」って? 今が地獄のやつにそれを言うのか?
でも、それでも俺は、瞑想を捨てなかった。
なぜなら、“整ってないままでもできる瞑想”があるって知ってしまったからだ。
完璧じゃなくていい。
気が散っててもいい。
涙が出ても、途中で立ち上がっても、いい。
瞑想って、そんな「許しの場所」であるべきだったんじゃないか?
そう思った。
心ヨガ部式:整ってない人のための瞑想
整えるための瞑想じゃなく、
整ってなくてもやっていい瞑想。
心ヨガ部はそこから始める。
座れたらOK。
泣いててもOK。
何も感じなくても、やっていい。
自分を整えるんじゃない。
整ってなくていいと思える場所をつくるんだ。
次回予告:動画で実践「整ってなくてもできる瞑想」
次回、YouTubeにて「整ってないまま座るための瞑想」動画を公開します。
無理に“無”にならなくていい。
呼吸が浅くても、雑念が出ても、自分でいられる時間を一緒に。
動画タイトル案:
整わなくても座っていい。5分で心をリセットする瞑想
動画メッセージ案:
がんばって整えるのではなく、整ってなくてもいていいと許される時間を。
最後に。
お前のままで、座れ。
それが、心ヨガ部長の言いたいことだ。
君の感情、動画にさせてくれ。 部長、マジでその感情、受け止める。