あらすじ
東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った 山音麦 (菅田将暉)と 八谷絹 (有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。
近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。
まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!
──これはきっと、私たちの物語。出典
映画『花束みたいな恋をした』公式サイト主演:菅田将暉、有村架純、脚本:坂元裕二、監督:土井裕泰 大ヒット上映中!
感想
映画花束みたいな恋をしたを先日観ました。
出会った頃は、お互いに同じ趣味や好きなことがあって、ただそれを語り合ってるだけで幸せだった2人。
しかし、同棲をはじめ、お互いに就職して社会にでることで、お互いの価値観のずれを自覚するようになります。
麦は、「食べていくためには、やりたくないこと、嫌なことにも目を背けて生きていかなければならない。」と考えるようになった。
一方で絹は、「好きなことで食べて行く、我慢なんてする必要はない」という考えでだった。
お互いに生活パターンがずれ、当初抱いていた好きという気持ちがわからなくなってしまった2人。
すれ違いが続き、最終的には2人は別々の道を進むことに決めました。
ヨガ的な視点で考える
結論から言うと、考え方は、すべて自分自身で決めるものであり、2者の考え方は、
どちらが正しいとは言えません。
しかし、ヤマの教えの中にある、アヒンサー(愛すること)という考えからすると、嫌なことにも目を背けて生きていく考え方は、自分を大切にしていないということになります。
また、ヤマの教えのもう一つの考え方には、サティア(自他に正直に生きる)があります。
自覚するもの、無自覚なものを含めても、自分に嘘をついて生きて行くこと、本当は嫌だと思うことを無理して続けて行くことは、自分を壊します。
私は、一度きりの人生は、ヤマ、ニヤマを厳守していることは前提として、
自分がやりたいように生きて行くべきだと考えます。
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